NO.3 「ピア・カウンセラーを目指して」 木村翔子さん

NO.3 ピア・カウンセラーを目指して 木村翔子さん プロフィール 1992年生まれ。幼少期から児童養護施設で育ち、先天性の障害の手術をくり返す。12歳の時に手術の影響で脊髄損傷と診断され下半身不随になり、以後車いすで生活をする。その為、障害児の児童養護施設にうつり中学からは特別支援学校に通う。思春期に入り、障害の受容や家庭の事情等も重なり、一時適応障害になり不登校になる。施設や学校で様々な家庭環境、障害事情等を知り、「親からの虐待、障害や家庭環境などの偏見を無くしたい、また当人達の生きづらさを解消したい」と思うようになり、「一般的ではない自分だからこそ誰かの力になれるのでは」と考え、現在地域で一人暮らしをしながらピア・カウンセラーを目指し中。アニメと声優、ライブ、飲み会が大好き。 みなさんこんにちは、木村翔子です。私は12歳の時に生まれつきもっていた障害の手術の影響で、車いす生活になりました。そのことがきっかけで障害をもつ人への偏見を無くしたい、また、当人たちの生きづらさを解消したいと強く思うようになりました。現在は、「マイノリティの自分だからこそ、誰かの力になれるのでは」と考え、地域で一人暮らしをしながらピア・カウンセラーを目指しています! 幼少期の木村翔子さん 幼いころから養護施設で過ごしていたのですが、歩けなくなってからはずっと医療養護施設で入院していました。施設の保育士さんや、医者、ナース、PT(理学療法士)、OT(作業療法士),ST(言語聴覚士)、心理士さんたちが自分の親ではないのに、本当の両親みたいに親身になってくれました。 病院を出て違う施設に移った時のことです。その頃私はSPYAIRというバンドが大好きで、そのバンドがファンと交流できるイベントを開催していました。なんとなくのぞいてみると、バンドのメンバーがとても手厚く接してくれました。 私はそれまでずっと、障害を持っている人は、“健常者から嫌われる”と思っていました。全然そんなことはなくて、交流会に行ってみると友達がたくさんできました。「車椅子だから」とか、「障害者だから」とか言っても「別に良くない?」って言ってくれて。そこからどんどん社交的になっていきました。 歩けなくなったのは小学6年生、11歳の時でした。 歩けなくなった自分には、一体何ができるんだろう?と唐突に考えるようになりました。最初は手を動かすことができるのでマッサージがいいかも?と思って、マッサージ師を目指しましたが、どこかしっくりきませんでした。 それから現在の社会は、ストレスで溢れているように感じ、“誰かの心のケアをするカウンセラーになりたい”、誰かの話しを聞いてカウンセリングすることだったら、私にもできるのではないか…と思いました。 高校生だった私は、お医者さんに話を聞いてもらうことでとても救われたのですが、でもこの医者は「健常者だ」という思いが頭から離れませんでした。ナースや親みたいに接してくれている人でも、「親じゃない」「健常者だ」「私とは違う」という風に感じてしまっていました。 一人暮らしをはじめるにあたり、学校、病院、元施設…いろいろなところに、一人暮らしの不安を相談しました。すると、実際に障害を持っている人が運営し、障害者自信の心理的サポート、また保険や公的補助、法律面でのサポートをしているNPO法人CIL小平を紹介していただき、そこでよく相談に乗ってもらうようになりました。(※CIL(the... Read More | Share it now!

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