No.8 「笑顔を生み出す人になりたい」スマイルフォトグラファー 中村亞希さん

  No.8 スマイルフォトグラファー 中村亞希さん   1992年生まれ。三度の飯より“笑顔”が好きな23歳。マザーテレサのような人になりたいと思い高校3年間で福祉について学んだ。国家資格を取得し現在、介護福祉士として高齢者施設で勤務する一方で笑顔の魅力に気付いた2014年から人の笑顔を撮る《スマイルフォトグラファー》としてフリーランスで活動中!自分の笑顔を好きになって自分に自信を持てるようになれば、きっと今よりも素敵な人生になるだろうと考える。誰かの笑顔の理由になりたい。様々なキッカケを、写真を通して与えている。撮影依頼随時受付中! もともと、私は自分自身の笑顔が大嫌いでした。でも、とある友人の言葉がきっかけで自分の笑顔を受け入れてすごく好きになってからは、自分のこともすごく好きになっていきました。 高校2年生の頃、「亞希が笑うとあたしもつられて笑っちゃう!本当にいい笑顔だよねー!」 と部活帰りに友人から言われました。この一言がキッカケで、自分の笑顔の魅力に気付き受け入れられるようになりました。それから、自分の笑顔だったり周りの人の笑顔だったり、“笑っている時間”を意識するようになって、どんどん笑顔の魅力にとりつかれていきました。こうして私は笑顔を撮ることについて興味を持ち始めました。 この体験をしてから、自分自身の体験を伝えていくことで、もっと多くの人が輝く世界になるのではないかと思いました。それをカメラという技、自分の特技を生かしてより多くの人の笑顔を生み出す人になりたいなと思い活動をしています。 私は3人姉弟の長女で、下に妹と弟がいます。1歳の頃の写真が残っているのですが、1歳の誕生日でおじいちゃんからもらったビールをグビグビ飲むような、好奇心旺盛な子供でした。 1歳の誕生日でおじいちゃんからもらったビールを飲む亞希さん また母親が青森の田舎の育ちで、片親で母だけの家庭なのですが、母がすごく厳しくて長女というのもあり「お姉ちゃんなんだから」という押し付けがすごく多かったです。それがずっと続いていて「お姉ちゃんなんだからしっかりしなきゃ」「こういうの我慢しなきゃ」と思っていました。そのため例えば、食べたいものがあっても妹にあげなきゃいけないことなどあり、相手を優先してしまうような子供でした。周りに気を使ってばかりで、あまり自分のことを話せなかったです。 中学2年生の時に急に母子家庭になり、この時家庭環境に大きな変化がありました。 写真に興味を持ったのは20歳を過ぎてからです。それまではウィルコム1台で過ごしていたけれど、iPhoneに切り替えて、Instagramを登録しました。最初は写真を撮ることじゃなくて、Instagramで写真の編集をすることがすごく好きでした。 はじめは空の写真など、風景を主に撮影していました。それをミクシィなどのSNSに載せると、「これ背景にしたい」「待ち受けにしたい」と言ってくれる人が結構いてくださり、こんなに需要があるのだったら、もっと撮りたいなぁと思ったのがきっかけです。 今まで撮影してきた笑顔の人数は、200~300人です。もともとのきっかけが、「自分自身を好きになろう」ということでした。そのため、女性も男性も含めて自分の笑顔に自信がない人などが私に連絡をくれて、個人で撮影したりしました。あとはカップルのポートレート、イベントのカメラマンや、ライブのカメラマン、また家族の写真などを撮っています。 月の活動はその時によりばらばらだけれど、本当に頻繁に活動していたのは2015年と2016年で、毎日1組から多くて4組の笑顔を撮っていました。   成人式の前撮りの撮影を、お友達と一緒に依頼してくださった方 保育の専門学校に通いながらモデルの活動をしている女の子。スマイルフォトの撮影をきっかけに自分を受け入れられるようになり、自信がついたという嬉しいエピソードもあるそう。 実はカメラの技術もなく、知識もなくてただ【想い】だけで撮っています。 周りの方に「どうしたらそんなに笑顔が撮れるの?」とよく言われます。私は難しいと思ったことが一度もないです。自分自身がこの人と一緒に楽しもうという想いが強くて、もともと相手の長所を引き出すというか見つけるのがすごく得意なのもあり、そこを生かして撮影していると自然な笑顔が撮れるようになっています。 また撮影料のことでは随分悩みました。前は自分に自信がなかったから、1コインの500円とかで撮っていました。ただ周りが求める声が多く「もっとお金を上げてもいいのに」という声が多くありました。自分の写真に自信を持ち、価値をもっと自分好みに出すという考えで時と場合によりますが、撮影料をあげて5,000円からの料金にしています。 撮影料を変えるタイミングがすごく難しくて、フリーランスでやっているカメラマンの人だったら、ピンからキリで安くて1回18,000円など、それぐらいの料金で活動しています。そういう方に比べたら値段は本当に安いです。今そういう風にフリーランスでやっている方が私以外にもすごく増えています。ちゃんと仕事としてカメラ一本でやっている方からしてみると、今はデジタルカメラが普及していて誰でも撮れる時代なので「仕事の邪魔」とか「客をとるな」というお言葉も言われたりしました。そこで自分の中で葛藤している部分も多くありました。 サプライズでお父さんへの誕生日プレゼントとして家族写真の撮影依頼をしてくださったご家族のお写真。普段は喧嘩が多くて仲が悪いと伺っていましたが、この日は3人仲良く笑顔で手を繋ぎ、家族愛を終始感じた撮影だったそう。 今は自分の意思は貫き通すと決めて、少しビクビクしながらも自分らしい活動をしています。 今、高齢者施設で働いているのですが、基本的に夕方の4時から次の日の朝、9時半までの夜勤勤務をしています。夜勤をやっているとすごく自由な時間が多いです。仕事の時間の前後が使えたりなど、また夜勤明けの次の日は休みだったりするのでそういう時間は有効的に使えます。 現在の職場の介護施設でも、カメラマンをやらせていただくことがあります。利用者さんの誕生日会であったりとか、イベントなどで撮影させていただくことがあります。それが本当に生き甲斐だなぁと思っています。 富士夢祭りの道中にて、高齢者施設でスタッフやご利用者様と撮影。 将来のことについて聞かれたときは、「他にもやりたいことが沢山あるので、カメラ一本に絞っていくということは全く考えていません」といつも答えています。結構飽き性なので一本に絞ってしまうとあれもやりたい、これもやりたい!となってしまうのでその都度興味の湧いたことに挑戦していきたいと思っています。 《やらない後悔よりやって後悔!》することが大事。 ”後悔しない人生なんてありえない!だから後悔することを怖がる必要なんてないんだ!”後悔しないように生きてきた私ですが、ある日を境に開き直り、そこから人生が一変しました。 渋谷センター街にて夢集めの様子を撮影 ”あの時やっていれば良かった…”と、やらない後悔は同じ場所でグルグル渦を巻くようにずっと残ります。けれど、行動した結果から味わう後悔の先には多くの学びや気付きの数々が得られます。そこからまた次のステップへと進んでいき、改善点を見つけてまた次のステップへ…。まさに、再生と破壊の繰り返しです。闇があるから光があるように、悩んだり苦しんだりする時期はかけがえのない財産です。たくさん悩みましょう。それは希望だから。自分のいのちを輝かせることが、多くの人の希望になると、私は思っています。 やらない後悔とやった後悔、あなたはどちらを選びますか? 本当の答えは、いつも自分の中に在ります。あなたはもう、知っているはずです。   中村亞希さん ありがとうございました! ... Read More | Share it now!

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NO.6すべての家族とそれを支えるすべての人を“てらす” 「おうち、てらす」 川瀬紗依さん

NO.6 おうち、てらす 川瀬紗依さん    1992年生まれ。子ども好き。高校時代にデイヴ・ペルザー著『”It(それ)”と呼ばれた子』を読んだことをきっかけに児童虐待に強い関心を示す。大学時代は家族社会学を学び、現在は「家族が安心して頼れる社会の実現」を使命に掲げ、〈すべての家族と、それを支えるすべての人を照らす〉インタビューサイト「おうち、てらす」を運営する。普段は会社員。 私は、「おうち、てらす」全ての家族とそれを支える全ての人を“てらす”というビジョンを掲げ活動しています。「おうち、てらす」は、家族にまつわるあらゆる課題の解決に向けて取り組んでいる個人や団体の活動に焦点を当て、それぞれの強い思いとストーリーを広く発信するWEBメディアです。 例えば“児童虐待”という問題がある時に、それについて活動している方にスポットライトを当て、その人達がどんな想いでなぜこの活動をしているのかをインタビューし、その人達の想いを発信しています。 想いを発信することで、そこに少なからず共感してくれる人がいるのではないかと思っていて、それに共感してもらうことで、こんな問題もあったんだということを知ってもらい、何か自分もしたいなということにつながればいいと思っています。 「おうち、てらす」を始めたのは昨年2015年の7月で、構想しはじめたのは4月のことでした。大学を卒業し、会社員になって自分に何かできることはないかと漠然と考えていた時期でした。ただ自分自身、大学を卒業しただけで、特別なスキルがあるわけでもないし、資格があるわけでもない状況なので、何にも持っていない私にもできることって何かあるのかなって思った時に、すでに本格的に活動している人達が周りにいたので、その人達のことをインタビューし、発信していくことはできるのではないかと思い始めました。 もっと幼少期にさかのぼると、昔から本を読むのが好きなので家族と図書館によく行っていました。盲導犬を育てる“パピウォーカー”の話の本や、社会福祉に関連する著書にすごく興味を持っていました。社会に役に立つなにかに惹かれていたのではないかと思います。 それから、中学生のときに『アンネの日記』を読んで日記を書くことにはまっていました。毎日ではないのですが、思い出したときに日記を書くようにしています。昔から本を読むことや、作文や文章を書くことは好きだったので、抵抗なくはじめられたのが、この「おうち、てらす」でした。 高校一年生の時に、デイヴ・ペルザー著『”It”(それ)と呼ばれた子』を読んで衝撃を受けました。ノンフィクションの児童虐待を描いた有名な作品です。その当時の私は児童虐待を知っていたのか、知らなかったのか分からなかったのですが、母親から小さな子供が容赦なく傷つけられている生々しさにひどく衝撃を受けました。いままで私が知っていた家族っていうのは「愛のある家族」という勝手なイメージを持っていたのですが、誰しもがそうではないのだなと感じました。 私の日常の延長線上に家族の中で暴力がおこりえるということに気付いた一冊でした。 オレンジリボン活動をされている シンガーソングライターの 氏家エイミーさん 引きこもりの支援相談員をしている佐々木克彦さんや、オレンジリボン活動をされているシンガーソングライターの氏家エイミーさん、アトピーを自分自身で克服して、それをもっといろんな人に伝えて勇気づけたいと本を出された岡田基さん、スリール株式会社を立ち上げ、学生たちが共働き家庭での子育て体験を通してキャリアを考えるワーク&ライフ・インターンを運営している社会起業家の堀江敦子さんなどに、インタビューさせていただきました。 わたしは、究極的には「家族」に問題は存在しないと思っています。すべて、社会構造の問題(=社会問題)なのではないかと考えているからです。その社会構造をボトムアップで変えるための、とてつもなく草の根的な活動として、「おうち、てらす」での発信をしています。 アトピーを自分自身で克服して それをもっといろんな人に伝えて 勇気づけたいと本を出された 岡田基さん インタビューでいろいろな活動家たちのお話を聞くなかで新しい発見がありました。それが、とくに澤永遼さんの記事でも話題になっている、「ツールをもつことの強さ」です。 わたしがインタビューをしてきた人たちは大きく2つのタイプがいます。1つめが、家族を取り巻く課題の解決を目的に掲げて活動をしている人たち。そしてもう1つが、ご自身の活動が、結果的に家族を取り巻く課題の解決に貢献している人たち。目的か結果かというだけの違いなので、どちらがいい悪いじゃないのですが、わたしがインタビューを通して発見したのは、後者の人たちの大きな可能性でした。 たとえば澤永さんはフレスコボールというマイナースポーツを通して、家族のコミュニケーションの活性化に貢献しています。そんなふうに、自分の「好きなこと」「得意なこと」が、気が付いたら社会問題の解決につながっているって素敵ですよね。そういうツールを持っている人たちだからこそ、社会にインパクトを与えられる。 だから、そんな人たちに「家族を取り巻く社会問題」をまずは知ってもらって、ツールを生かして社会を変える人になってもらえるように、背中を押せたらいいなと思うようになりました。 アトピーを自分自身で克服して、それをもっといろんな人に伝えて勇気づけたいと本を出された岡田基さん 「おうち、てらす」を発信することで、私自身の成長につながり、どんどん気になる情報をキャッチできるようになりました。まずは思い切って発信すること。思い切って一歩を踏み出し自己発信することで思いがけない影響があります。 私がいま掲げているのは、家族が安心して頼れる社会を実現することです。 児童虐待や引きこもりが起こってしまうなどの社会問題には、いろいろ要因はあるけれど、家族が社会から孤立してしまっていることが原因なのではないかと思っています。 家族が何か助けが必要であるときに、助けを求められなかったり、助けが必要であるのに気がついていないことがあるので、自分が独りで抱え込まず、もっと繋がりができればそのような問題は少しでも減らせるのではと思っています。 今は、家族が安心して頼れる社会のひとつめのステップが共感や当事者意識を持つ人を増やすという段階なので、その次の段階にステップアップできたらと考えています。直接家族が社会とつながれるようなリアルな企画を今後はつくっていきたいと思います。 キアラ代表下里も “家族”について 色紙にしたためてみました!   おうち、てらす上映会 魂が号泣する104分 ≪うまれる≫ 「ハンカチがびしょびしょになるくらい泣けた」川瀬紗依 川瀬紗依さん ありがとうございました! ... Read More | Share it now!

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NO.4 「Iターンして福島で復興応援隊に」 中岡ありささん

NO.4 Iターンして福島で復興応援隊に 中岡ありささん プロフィール 1992年生まれ。桜美林大学で国際協力を専攻。東日本大震災後、原発事故について詳しく調べ衝撃を受ける。大学3年次に福島の現状を発信する学生団体を立ち上げ、福島原発をめぐる諸問題の啓発活動に力を注ぐ。また、同い年の友人たちが黒いスーツを着て就職活動をしている中、東京から福島に通い、震災を経験した方たちに取材を重ねる。福島県への移住を一大決心し、現在は福島県田村市の委託事業である田村市復興応援隊として震災復興・まちづくり活動に取り組んでいる。 こんにちは、中岡ありさです。私は現在、福島県田村市というところで、震災復興・町づくりの活動をしています。大学時代には東京から福島に通い、震災を経験した方たちに取材をしたり、団体を立ち上げ活動していました。それから一大決心し、東京から福島に移住。現在は田村市や都路町に住む方々がずっとこの町に住んでいたいと思えるように、魅力の発信や町づくりのお手伝いをしています。 私の活動する田村市都路町は、福島第一原発から一部が20km圏内に入っていて、全体が30... Read More | Share it now!

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NO.2 「インド発ヨガインストラクター」 宇佐美若奈さん

NO.2 インド発ヨガインストラクター 宇佐美若奈さん プロフィール    1992年生まれ。インド発ヨガインストラクター。「インドに呼ばれている気がする…」と悟ってインドに行きヨガインストラクターの資格を修得。【違いを受け入れ楽しめる人を増やす】【何才になっても“今”を生きる若々しい大人を増やす】を人生の使命として生きている。そのツールとして現在はヨガとピラティスの専門スタジオにて、インストラクターとして活躍中。ヨガとピラティスの醍醐味である心と身体を整えていくメソッドを実践し、人に伝えている。世界10ヶ国を旅し、象使いの資格を持っている。※プロフィールの写真はインドに呼ばれた2014年冬の私。インド人に囲まれ日々様子がおかしい事だらけ! インド発ヨガインストラクター。「インドに呼ばれている気がする」と悟りまして、インドに実際に赴き、現地の仙人みたいな先生のもとで教えてもらい、ヨガインストラクターの資格を取得しました。現在は、ヨガとピラティス(※身体と心を同時にコントロールすることで、効率的に肉体と精神を強化することのできるメソッド)の専門スタジオで正社員のインストライターとして日々修行をしています。 ヨガとピラティスの醍醐味である心の健康、体の健康、社会的な健康を整えていくメソットを、まずは自分で実践し、人に伝えるお仕事をしています。世界10カ国、主に一人旅をしていました。象使いの資格を持っています! もともと冷え性もちだったことから、ヨガに興味をもちました。日本のホットヨガスタジオで2年程会員として通っていて、同時進行で海外にいっているうちに、なぜかインドに行く夢ばかり見るようになりました。夢の中では毎日のようにインドの風景、インドの町を歩いている私。もうこれは行かなきゃ行けないと思って、インドに行くと決めました。そしてどうせインドに行くなら、今やっているヨガをやりたい。「どうせやるなら、人に教えられるようになりたい!」と、枠を広げたゴールを決めたうえで、現地で本場のヨガを学んできました。 人に教えられるようになることで、自分だけの価値ではなくて、人に伝えるプラスの価値にしたかったんです。大好きなピカチュウのぬいぐるみを肩にのせて、インドに旅立ちました。それまではいろんな国で体験したことを発信していたのですが、インドに行ってからヨガというテーマに絞って活動するようになりました。 インドから戻ってからすぐに、イベントを開催しました。参加者のみなさんと一緒にインド人の格好をして、インド式のカレーを作り、右手だけで食べる、題して”冬のインド人祭り”というだいぶ個性的なイベント名で(笑)インドでの摩訶不思議な体験をプレゼン発表でシェアし、食や現地で教わったヨガを通してインドの世界をみんなに体感してもらって、”帰るころにはインド人”というテーマ通り、皆さんおでこの間に印がついたまま、帰宅。笑 おかげさまでもう一度やってほしいとの声がかかっています。 それから、夢支援NGOアラジ主催のイベントで講師として代々木公園でフリーヨガを企画していただき、より具体的に活動していくようになりました。予定としては、どこの国にいっても人々に心身の健康を手に入れてもらい、いつまでも若々しく社会に貢献していける人を増やす存在になりたいです!誰にとっても、今この瞬間が残りの人生の中で一番若い。その人生をどう生きていくかを身体と精神、そして社会的な健康というテーマから一緒に考えていきたいです。 インドに行き本格的にヨガを学んだことで、健康がなにより大事だと感じました。一口に健康といっても、ただ病気でない状態を指すのではなく、“身体の健康、心の健康、そして社会的な健康があってこそ本当の健康”だと思います。姿勢が正しい位置にあり、不快感や痛みが無い状態にあるとき、同時に気分が良くなります。想像してほしいのですが、ずっと肩こりで頭痛がひどい状態が続いていたら人に優しくしようとか、新しいことに挑戦してみようとかあまり考えられそうにないですよね。だからまず何よりも、自分自身の身体を整えていきます。 次第に心もいつも以上に余裕ができてより優しい気持ちになって、それが自分以外の誰かになにかしてあげようという気持ちになって、最終的に世界平和、社会的な健康になっていく…そんな社会を作っていきたいです。それを叶えていくツールの第一歩が私にとってはヨガでした。 ひとりひとりが、自分の心と身体をみつめはじめることが本当に平和につながる第一歩だと思っています。 得に世界10か国を旅して、日本人が心を閉ざしてしまいがちなことだったり、異質なものを攻撃して安心しきっている場面を見てすごく違和感を覚えました、”出る杭は打たれる”という昔からのことわざがあるように、日本にいると、ちょっと出た人が叩かれる…。その点では、私なんかはわりと叩かれやすい立場にいると思います(笑) そういった人との違いを叩くのではなく受け入れて楽しんでいきたい、さらに自分もどう生きたいのかを考え実行していける人が増えたら「大人になるほど人生が楽しい!」という人が増えると思います。 それをみた子供たちが大人になることが楽しみになってほしい。そのためにはまず自分を知らなくちゃいけない。そのために自分の体をみつめてほしい。そして心と体の健康を自分の責任として捉えて自分でコントロールしていける人を増やしたいです。 目的が達成されれば、手段はヨガやピラティスじゃなくてもよかったのかもしれません。私はたまたまインドでヨガに出会い、実践しながら皆さんに価値を提供できるように学びを深めています。皆さんにとって今、夢中になっていることは何ですか?それが一見ヘンテコでも様子がおかしくても、追及し続けて発信してみることが大切かなと考えています。 「とにかくやったれ!」 いろいろと心配し、悩む前にその場でやりたいことを全部やったらいいと思います。 去年の今頃(大学4年生の頃)私も、自分が本当の意味で何がしたいのか分からなくなった時期がありました。結果、やりたいことがありすぎたのでかたっぱしから実行してみました。行きたいと思った国に出かけ、海外でいろいろな様子がおかしいものを体験しました。(詳しくはインド発ヨガインストラクター... Read More | Share it now!

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NO.3 「ピア・カウンセラーを目指して」 木村翔子さん

NO.3 ピア・カウンセラーを目指して 木村翔子さん プロフィール 1992年生まれ。幼少期から児童養護施設で育ち、先天性の障害の手術をくり返す。12歳の時に手術の影響で脊髄損傷と診断され下半身不随になり、以後車いすで生活をする。その為、障害児の児童養護施設にうつり中学からは特別支援学校に通う。思春期に入り、障害の受容や家庭の事情等も重なり、一時適応障害になり不登校になる。施設や学校で様々な家庭環境、障害事情等を知り、「親からの虐待、障害や家庭環境などの偏見を無くしたい、また当人達の生きづらさを解消したい」と思うようになり、「一般的ではない自分だからこそ誰かの力になれるのでは」と考え、現在地域で一人暮らしをしながらピア・カウンセラーを目指し中。アニメと声優、ライブ、飲み会が大好き。 みなさんこんにちは、木村翔子です。私は12歳の時に生まれつきもっていた障害の手術の影響で、車いす生活になりました。そのことがきっかけで障害をもつ人への偏見を無くしたい、また、当人たちの生きづらさを解消したいと強く思うようになりました。現在は、「マイノリティの自分だからこそ、誰かの力になれるのでは」と考え、地域で一人暮らしをしながらピア・カウンセラーを目指しています! 幼少期の木村翔子さん 幼いころから養護施設で過ごしていたのですが、歩けなくなってからはずっと医療養護施設で入院していました。施設の保育士さんや、医者、ナース、PT(理学療法士)、OT(作業療法士),ST(言語聴覚士)、心理士さんたちが自分の親ではないのに、本当の両親みたいに親身になってくれました。 病院を出て違う施設に移った時のことです。その頃私はSPYAIRというバンドが大好きで、そのバンドがファンと交流できるイベントを開催していました。なんとなくのぞいてみると、バンドのメンバーがとても手厚く接してくれました。 私はそれまでずっと、障害を持っている人は、“健常者から嫌われる”と思っていました。全然そんなことはなくて、交流会に行ってみると友達がたくさんできました。「車椅子だから」とか、「障害者だから」とか言っても「別に良くない?」って言ってくれて。そこからどんどん社交的になっていきました。 歩けなくなったのは小学6年生、11歳の時でした。 歩けなくなった自分には、一体何ができるんだろう?と唐突に考えるようになりました。最初は手を動かすことができるのでマッサージがいいかも?と思って、マッサージ師を目指しましたが、どこかしっくりきませんでした。 それから現在の社会は、ストレスで溢れているように感じ、“誰かの心のケアをするカウンセラーになりたい”、誰かの話しを聞いてカウンセリングすることだったら、私にもできるのではないか…と思いました。 高校生だった私は、お医者さんに話を聞いてもらうことでとても救われたのですが、でもこの医者は「健常者だ」という思いが頭から離れませんでした。ナースや親みたいに接してくれている人でも、「親じゃない」「健常者だ」「私とは違う」という風に感じてしまっていました。 一人暮らしをはじめるにあたり、学校、病院、元施設…いろいろなところに、一人暮らしの不安を相談しました。すると、実際に障害を持っている人が運営し、障害者自信の心理的サポート、また保険や公的補助、法律面でのサポートをしているNPO法人CIL小平を紹介していただき、そこでよく相談に乗ってもらうようになりました。(※CIL(the... Read More | Share it now!

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