NO.4 「Iターンして福島で復興応援隊に」 中岡ありささん

NO.4

Iターンして福島で復興応援隊に

中岡ありささん

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プロフィール

1992年生まれ。桜美林大学で国際協力を専攻。東日本大震災後、原発事故について詳しく調べ衝撃を受ける。大学3年次に福島の現状を発信する学生団体を立ち上げ、福島原発をめぐる諸問題の啓発活動に力を注ぐ。また、同い年の友人たちが黒いスーツを着て就職活動をしている中、東京から福島に通い、震災を経験した方たちに取材を重ねる。福島県への移住を一大決心し、現在は福島県田村市の委託事業である田村市復興応援隊として震災復興・まちづくり活動に取り組んでいる。

”Iターンして田村市復興応援隊に中岡ありささん

こんにちは、中岡ありさです。私は現在、福島県田村市というところで、震災復興・町づくりの活動をしています。大学時代には東京から福島に通い、震災を経験した方たちに取材をしたり、団体を立ち上げ活動していました。それから一大決心し、東京から福島に移住。現在は田村市や都路町に住む方々がずっとこの町に住んでいたいと思えるように、魅力の発信や町づくりのお手伝いをしています。

田村市復興応援隊として原発事故がもたらした悲劇。

私の活動する田村市都路町は、福島第一原発から一部が20km圏内に入っていて、全体が30 km圏内にすっぽりおさまる地域です。もともと約2,700人いた人口は、原発事故の影響で現在は1,700人ほどの地域になってしまいました。

原発から20km,30kmの同心円状にあった都路町は、原発事故発生後の翌日、全町避難の指示が下されました。当時何が起きたのかもよくわからないまま住民たちは工場や学校、親戚の家などに避難をしました。そして原発20km圏内には警戒区域、原発30km圏内には緊急時避難準備区域に指定され、住むことも入ることも禁止された状況になってしまいました。

2011年9月に原発30km圏内の緊急時避難準備区域が解除され、その2年半後の2014年4月に、20km圏内の避難指示準備区域(2012年4月に原発20km圏内の警戒区域が避難指示解除準備区域に再編)が解除されました。震災から約5年が経とうとしていますが、都路町は一度全町避難を経験したため、徐々に住民が帰還し始め、やっと新しい生活をスタートさせたという地域なんです。

もともと過疎地域という状況の中で震災があったことにより、より若者が減り、高齢者が多くなってしまったという印象があります。

応援隊の発足当時(2013年夏頃)は、主に住民へのニーズ調査と応援隊周知を兼ねた住民ヒアリング、それをもとに草刈り、雪かき支援などの直接的支援を行っていました。27年度から支援の対象を都路町から田村市へ広げ、震災復興としての直接的支援から、“まちづくり”という観点で活動しています。

“まちづくり”という意味で、私たちが目標として掲げているのは、田村市民や都路町民が”住んでいてよかったと思えるような、町を作る”が大きな目標としてあって、「ここにいてよかった」と思ってもらえるように、町を盛り上げて行きたいと思っています。

1914893_1130941996946459_2901106354613833244_n「地域住民や子どもたちが集まって色々な体験ができる工房を作りたい」という住民の声により、ボランティアを集めて小屋の片付け作業を行っている様子

「震災を経験した田村市の新たな魅力を外に発信していきたい」

現在、主に行っているのは”住民のやりたいこと支援””魅力発信”です。いつまでも人々が住み続けたいと思える町というのは、やはり活気があり、そこにいる住民が楽しいと思える環境であると思います。そこで応援隊は、住民の方々の「あんなことをしたい、こんなことをやってみたい!こんなことをすれば地域が盛り上がるかもしれない!」そんな想いの実現をサポートしています。

魅力発信の分野では、今年度本ツアーを行った田村市グリーンツーリズムや、企業と住民と応援隊の共同で行う企画や、都心の大学生にボランティア・ヒアリング・まちあるきなどを通して、地元住民の方が気づかない田村の魅力を探ってもらったり、外へ発信してもらったりしています。住民の方と実際に交流することで、現状理解の促進にもなります。そして私は、主に魅力発信のための活動の役割を担っています。

関東からは、明治学院大学、東邦大学、横浜国立大学、そして私の母校の桜美林大学からも多くの学生が足を運んでくれています。

桜美林の学生たちは、一度ゼミで田村に訪れたことをきっかけに、今後プロジェクトとして田村市都路町を支援していただくことになりました。現在は、何度か互いに行き来をして打ち合わせを重ね、どのようなプロジェクトにしていくべきか話し合っています。

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母校:桜美林大学にて

福島の問題に関心をもったきっかけ

3月11日、東日本大震災をきっかけに復興支援のためになにかできることがないか考えました。でも大学2年生までは実は遊びほうけていて、サークルの先輩と毎日呑みにいったり、夜中まで遊んで、授業もろくに出ず…遅刻ばかりして…成績はFがいっぱいあって…でも「大丈夫っしょ!笑」と、毎日堕落した生活をおくっていました。

そんな中、唯一英語に興味があり、大学のプログラムを通してカナダに約4か月間語学留学しました。外国の文化に触れたことが自分の刺激になり、視野が一気に広がったことで、海外情勢や国際協力にとても興味を持つようになりました。

日本に戻ってから国際協力を勉強しはじめ、国際協力にどんどんはまっていきました。でも国外で起きていること、自分にできることなど考えはじめると、日本の震災も忘れてはならないと思うようになりました。私は震災があったときちょうどカナダにいたので、実は日本の震災のことは全然分からず、「このままではだめだ」と思うようになりました。

徐々に震災について調べるようになり、原発が本当にとんでもないものだと気づきました。原発によって人々の生活が一気に180度ひっくり変えってしまい、人間の便利にしたいという思とは裏腹に、苦しむ人達がいるということを知りました。しかも電気を使っていたのは東京都民で、被害にあったのは福島県民。福島が被害にあっているなか、東京の人達は、そんなことを忘れて毎日普通に暮らしている。意味が分からないというか、何でこんなことになっているんだろう、なんでみんな普通に生活しているのか、福島に対して何かしたいと思わないのかと、疑問がわきました。

その思いで福島を何とかしなきゃいけないと動きはじめ、大学3年次に福島の現状を発信する団体を立ち上げ、福島原発をめぐる諸問題の啓発活動に力を注ぎました。

福島で現地の人の声をきく。~衝撃の一冊との出会い~

被災地の状況や原発事故の様子がニュースで毎日流れてくるなか、大変なことになっているというのはなんとなくわかって…それに関連する本も読んで…いろいろな資料に目を通していくうちに、福島の現地の人の声がどこにものっていないと、ふと気づきました。

ニュースでも、新聞でも、本でも、現地の人の声がどこにも載っていないんです。なんとなく、なにかしたいとしか思っていなかった私は急に、福島の人達はどんな状況下に置かれていて、どういう気持ちで生活しているのかがすごく気になり、いてもたってもいられなくなりました。

その頃私は、村上春樹の『アンダーグラウンド』という本を愛読していました。1985年に起きた地下鉄サリン事件の被害者にインタビューをし、1冊の本にまとめたものです。有名な一人の作家が、一般人に目をむけ一人一人にインタビューし、膨大な資料を1冊にまとめあげたのだということに、私はいたく感動しました。そして、このように丁寧に、被害を受けた方々の声を聞いて世間に届けるというのがとてもとても大事な事だと思いました。

「福島で私もこれがやりたい」「福島に行って、現地の人の声が聞きたい」と、思うようになり、大学3年~4年生の間、1年間ほど実際にインタビューをしました。

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移住にいたる一番のキッカケ。~ゼミの先生に言われた一言~

1年間で10人ほどにインタビューを重ねましたが、それを形にするのがものすごく大変でした。東京で宅配のバイトをしながら、2ヶ月に一度ほど福島に行き、戻るを繰り返し、1人でこつこつ編集作業をしていました。

やり方も全然分からず、納期も自分で決められないで、ズルズルして、どこまで直せばいいのかも分からず、1人で悶々としながら作業をしていました。漠然と「どうしよう」と、日々感じていました。

卒業後もバイトをしながらインタビュー活動を続けたいと思っていたのですが、大学のゼミの先生に相談したところ、「東京でバイトしながら、福島に通ってインタビューしていくなんて無謀だ。だったら福島県に移住して、そこでもっと情報を入れながら、活動したほうがいいんじゃないの」と言われました。

とにかく、モチベーションを1人で維持するのがすごく大変で、時間がたつにつれさらに東日本大震災への風化が進んでいることも感じていました。自分だけ1人、どうしてがむしゃらに毎日やっているのかと思うようになりました。そして2ヶ月ほど思い悩み、結果、移住を決めました。

福島に移住してからは、福島県田村市の委託事業である田村市復興応援隊として震災復興・まちづくり活動に取り組み、復興支援にかかわることができました。

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活動にいたるまでに苦労したこと

いわゆるIターン(都心部で生まれ育った人が、地方で就職すること)を経験するにあたり、本当にいろいろなことが大変だったのですが、一番苦労したことはやっぱり移動手段です。

もともと東京にいたので電車でどこにでも行けたのですが、福島は車社会なので車で移動しなくちゃいけない。福島で就職するにあたり車の免許が必要ということで免許を取得しました。冬は雪道がひどくて、グシャグシャのツルツルでそれも大変!関東と東北の違いはすさまじく、文化や生活習慣に馴染んでいくことがとにかく大変でした。地域に入っていっても最初のうちは方言が聞きとれなかったり…。

そして、新卒で一般常識をなにも知らないまま、こういう特殊な業界に入ってきてしまったので、自分にはまだまだ基礎常識が足りないなと日々感じています。一般企業で働いたことがないので、なにが正しいのか、どういうものが一般的なのか、基準が分からず戸惑うことがよくあります。

今では、活動や生活にも慣れてきて、より地域に密着するために、地域の方と同じように訛りを交えて話すことができるようになりました。(うつってしまっているだけかもしれませんが。笑)そして常に、みんなが住みたいという地域にするためにはどうすべきか、考えることを忘れないようにしています。1240577_1130941946946464_3782335177522707546_n

企業ボランティアにお米の線量検査の現場を視察してもらっている様子

今後の目標・将来の夢

今後は、留学の経験をいかし、外国人にも田村市の魅力を発信することができたらと考えています。今でも日本の農作物を買わないなど、風評被害や被災地に対する偏見をよく耳にし、現地の正確な状況は海外にきちんと発信できていないと思っています。

また、この応援隊の活動は来年度までとなっており、さらに延長になるかはまだわかりません。先のことはまだ決まっておらず、活動を行っていくなかで今後のことを決めていけたらと思っています。

将来は結婚して、子どもも欲しい!30代になったらバリバリのキャリアウーマンになっていたいです!結婚や出産をしても、そのあとでまた復興支援の現場で奮闘したいと思っています。

同年代の夢持つ女性に伝えたいこと

「やってみればなんとかなる!」と思っています。

考えるより先に、私は行動してしまうタイプです。今となっては逆にそれがよかったと思っています。考えすぎていたら、絶対福島に来ていません。「行っちゃえ」と思って福島に飛び出してきたことで、今の自分があります。もちろん周りの応援のおかげでもあるので、感謝の気持ちは忘れずにいたいです。

怖がらずに思い切って決断すること。そうすることで新しいフィールドや、思ってもいなかった未知の分野に飛び込むことができます。自分の視野も一気に広がります。

ぜったい無理と、最初から決め付けないで、とりあえずやってみる、思い立ったら行動にうつしてみる!時には思い切ることも大切だと思います。

中岡ありささん

ありがとうございました!


 

中岡ありささん 出場

第2回ソーシャルドリームコンテスト

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第2回ソーシャルドリームコンテスト

日時2015年5月15日(日)
12:30~16:30
場所TLP渋谷カンファレンスセンター
出場者①アフリカ商会代表
山田一雅さん
②バルーンアーティスト
斎藤宏さん
③For Girl's Happiness
武村佳奈さん
④脱サラピエロ
豊田淳さん
⑤Yuka‘shome代表
松本有里さん
⑥福島復興応援隊
中岡ありささん
⑦UYIC (全国国際協力学生団体連盟)代表
新谷佑也さん
参加費2,000円
キアラ会員-ご招待

申込みはこちら


スタッフ後日談

下里:キアラ代表 安島:副代表兼カメラマン

【下里】いやぁ~福島まで行ってきました。遠かった~。笑 しかもありさの住んでいるところは電車が1時間半に1本で、最後は二人でめっちゃ走りました。笑

【安島】ゆめさん、お疲れさまです!そういえば、ありささんとはどこで知り合ったんですか?

【下里】ありさとは、同じ大学(桜美林大学リベラルアーツ学群で同じ国際協力専攻)だったんだー!お互いおちゃらけた大学生だったよ(笑)ありさほど私はFをとってないけど。

【安島】なるほど!(ノД`) でも、お二人ともすごい!(^^)

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