No.11 自殺未遂から一転、夢追うアフリカ女性起業家に~アラジ・キアラ代表:下里夢美

 

No.11

Alazi Dream Project代表

キアラ編集長

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下里夢美さん

1991年生まれ。25歳。輝く女性のための夢インタビューサイトキアラ・編集長Alazi Dream Project代表・ファンドレイザー。世界で最も命の短い国・シエラレオネ共和国における就労支援を目指し活動中。日本での支援金集めとして、現在までに様々な若者の「夢」をテーマにイベント企画や、約100名に登壇機会の提供をし約50回のイベントで延べ約1000人を集めた。最近はメディア出演や登壇活動を通し、「シエラレオネでオムライス屋さんになる!」プロジェクトに奮闘中。

  

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輝く女性のための夢インタビューサイト「キアラ(Kiala)」編集長。Alazi Dream Projectの代表を務める、下里夢美とは?

Alazi Dream Projectでは、世界で最も平均寿命が短いと言われている西アフリカの「シエラレオネ共和国」の就労支援活動を目指しています。輝く女性のための夢インタビューサイト「キアラ(Kiala)」では、アフリカの女性の名前で「輝く」という意味から、みずから光をはなち輝く女性の夢をインタビューさせていただいています。日本人の夢を応援するさまざまなアクションで支援金を集め、シエラレオネ共和国での支援に役立てようという試みに毎日奮闘しています。

シエラレオネ共和国を知ったキッカケ

2005年の3月7日にシエラレオネ共和国の8歳の男の子「アラジ君」のエピソードを、とあるテレビ番組を視聴したことがキッカケでシエラレオネ共和国を知りました。

テレビ番組の中のアラジ君は、1991年から長らく続いたダイヤモンド紛争に巻き込まれる形で両親を目の前で殺されるという辛い経験をしながらも、日々逞しく生きていました。その日着るものも食べるものもなく、1日中ダイヤモンド鉱山で鉄くずを探しながら兄弟を養っていました。番組スタッフに「何が欲しい?」と聞かれたときに「何も欲しいものはないから勉強がしたい」と言った言葉をずっと忘れることができませんでした。

当時は吹奏楽部に所属していたのですが、部活も強豪校で厳しく、家庭の事情もあり全部投げ出したいという時期に「アラジ君」の存在を知りました。自分自身は何もかも持っているのに、それを全て投げ出そうとしている自分の心のほうが、はるかに貧しいと感じました。シエラレオネ共和国について何かしたいという思いはなんとなくありましたが、将来は地元の山梨県で就職し、家族の側にいながら好きな人と結婚して、給料のいくらかをどこかに寄付できたらいいなと漠然と考えていました。

同じ志を持った設立共同代表との運命的な出会い「Alazi Dream Project」を設立する

大学時には山梨を飛び出し、国際協力が専攻できる桜美林大学に進学しました。大学1年生のときに途上国のバングラデシュ共和国に研修に行きました。大学の履修では、比較的簡単に行けるアジア地域が多く、バングラデシュのことを知る機会が多くて自然とアジア地域に魅力を感じるようになりました。NPOの道に進みたいなと漠然と思っていたのですが、新卒でNPOに入ることは難しいことを知りました。

大学3年生のときに、バングラデシュを支援するNGO「特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会」でのインターンをはじめました。アジア関係のNPOに就職したいという気持ちを捨てられなかったのですが、将来は就活しようかそのままアルバイトしながら好きなことをみつけようか迷っていました。

インターンが終わった後、インターン先のチャリティーバーベキューがあり、テーブルにバングラデシュを支援している理事さんやスタッフさんなどが沢山いる中で、私はなぜかシエラレオネの話を一生懸命していました。心のどこかで、シエラレオネのアラジ君がどうしても忘れられなかったんですよね。「あっちのテーブルに全く同じ話している人がいるよ、そのシエラなんちゃらって国の」と言われて出会った女性が、のちに設立共同代表となる坂井晴香でした。

彼女も私と同じテレビ番組を見ていたらしく、すでに一人でシエラレオネ共和国に行っていて現地で1ヶ月インターンをしていたというツワモノでした。

彼女と出会って約3ヶ月後に団体を設立しました。団体名はもちろん「Alazi」です。現在、坂井晴香は青年海外協力隊としてマラウイにて活動しており、設立後半年しか一緒に活動ができませんでしたが、この2年間様々な仲間に恵まれることができました。来年はいよいよ憧れだった、NPO法人を仲間とともに設立しようと思っています。

自分の名前に「夢」とはいっているからこそ

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2015年
アフリカ料理屋イェネガにて
NPO法人ダイヤモンド・フォー・ピースとの
合同忘年会の様子

アフリカって「かわいそう」「貧しい」というマイナスイメージで支援を募るような支援団体がすごく多いのですが、私は自分の名前に「夢」とついているので、何か明るい支援がしたいなと思っていました。

活動をはじめた当初、日本にもすごくキラキラした夢を持っている人がいることに気がつき、彼らを輝かせることで支援を得られないかと考えました。自分の夢ありきでも知らないうちに国際協力ができるという仕組みを作りたかったのです。

現在は日本での支援金集めとして様々な若者の夢をテーマに、イベント企画や登壇機会の提供をして約50回のイベントを開催しています。約100名に登壇機会を提供し、述べ1000人の方にご参加いただくことができました。誰もが自分の夢を持つことで、知らず知らずのうちに、遠いアフリカのシエラレオネ共和国の人たちの夢を応援することに繋がっていくという仕組みになっています。最近では、イベント事業だけではなく、メディア出演や登壇の機会を多くいただいています。

日本とシエラレオネ共和国での活動・新しい国際協力のカタチ

日本で若者の夢を応援するイベント事業は主に大きく分けて3つあります。

  1. 若者の夢をつなぐ場
  2. 女性のインタビューサイト
  3. アフリカ活動報告会

1つ目は若者の夢をつなぐ場としての、夢プレゼン交流会、若者起業家飲み会、ソーシャルドリームコンテストです。

「夢プレゼン交流会」は、夢を持っている人(代表、個人事業主、団体リーダー)の誰もが参加でき、自己PRプレゼンと交流ができます。「若者起業家飲み会」は、35歳までの起業家が集まる飲み会で、毎回一人がプレゼンをしご縁をお繋ぎしています。

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夢プレゼン交流会の様子

ソーシャルドリームコンテストは、「夢プレゼン交流会」・「若者起業家飲み会」の中から社会的な活動をしている方たちを6名選出し、1年に1回約200名規模のコンテストを主催しています。

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第2回ソーシャルドリームコンテストの様子

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第2回ソーシャルドリームコンテストで
優勝した新谷佑也さん
左が代表:下里夢美

2つ目は、輝く女性のための夢インタビューサイト「キアラ(Kiala)」の運営とイベント開催です。夢プレゼン交流会は男性の登壇者が多いので、女性にもスポットを当てようということでやっています。

3つ目は、小学校や社会人向けのアフリカお料理イベントの開催や、アフリカ理解のための活動報告会、異文化交流会を開催しています。

他にも、今夢を持った人たちがもっと学べる場所を作ろうということで、セミナーや勉強会などを開催しています。私自身もファンドレイジングセミナーや、集客セミナーの講師を務めることもあります。

主にこの3つのイベント事業の開催・登壇の利益を現地活動への支援金としていました。みなさんの夢がより飛躍するお手伝いがこれからもできればなと考えております。

また、シエラレオネ共和国では、日本で行っている夢プレゼン交流会をゲーム形式で開催しています。実際に2016年6月にシエラレオネ共和国に渡航し、夢プレゼン交流会を行ってきました。

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シエラレオネ共和国の首都:フリータウンでの
DreamGameYUME(現地版夢プレ)の様子
1か月で7回開催し、延べ100名が参加しました。

現地での夢プレゼン交流会「DreamGameYUME」は参加費を支払ってもらい、その後プレゼンテーターが自分以外の誰かに投票します。優勝した人が全部の参加費をもらえるというゲームになっています。現在も週1回現地のオーガナイザーが中心になって毎週開催されています。

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日本での活動では、「若者の夢をつなぐ」そして、シエラレオネでは、「一人でも多くの人が働ける環境を増やす」ことをテーマに、「新しい国際協力のカタチ」を日々模索しています。

国際協力という分野に対しての意味合いは時代とともに変化しつつあるのではないかと、最近感じるようになりました。かつてODA大国だった日本。その頃はこぞって途上国で井戸や学校建設を行うプライベートのNGOや学生団体が多く、貧困に苦しむかわいそうな子どもの写真を見せて支援を集めていた印象がありました。

現在は使命感とかではなくて、あくまで平等な立場で「日本とアフリカをつなぐ」や、「持続可能な自立支援」かつ、「やりたいことをやる」「私がそこの国が好きで、関わっていたいからする」ということに変わってきているんじゃないかなと思います。自分の好きなことと、国際協力を結びつけるアラジの活動も後者として存在しています。

活動において苦労していること

「誰かにお願いする」という苦手を克服することが一番大変でした。アラジでは日々様々なイベント事業が交差して進行しているため、作業を振り分けて指示を出すことにとても苦労しましたね。

現在は仲間に恵まれて、自分が苦手な経理や事務的なこと、会場セッティングや値段設定などは副代表にすべて任せています。また、アラジ・キアラスタッフはカメラマンや司会のできる人が多く、いつも助け合ってイベントを開催しています。私ができることや得意なことって、実は誰かにお願いして、信頼できる仲間を集めて、自分はやりたいことをただ一生懸命話しているだけかもしれないです。笑

あとは人が多く集まるイベントなので、参加者さん同士のトラブルを解決するのがものすごく大変です。他のイベントの集客目的の方だったり、ネットワークビジネス勧誘で来られる方も多く、私自身も勧誘されたりして。ちなみに、現在は完全にネットワークビジネス勧誘目的の参加者の方はお断りさせていただいております。イベント一つ一つのクオリティを上げていくことが簡単なようで意外と難しいのだというのを、この2年間でものすごく実感しました。

家庭環境で鬱になり、自殺未遂。友達もいなかった中学時代。

小さい頃は母子家庭で、生活保護自給者しか入れないアパートに住んでました。母親は昔から自由奔放な人で彼氏がよく変わってました。私は一人っ子ですごくわがままに育ったので、今輝いている人は昔いじめられていた過去がある方が多いかと思うのですが、どちらかというと人をいじめ尽くす方の人間でした。笑 男女問わず毎日弱い子を見つけて誰かを泣かしていましたね。

中学校のときにずっと一緒に住んでたお父さん的な存在の人と母親が別れました。その頃から情緒が不安定で誰とも話したくない状況になってしまいました。小学校6年生から中学2年生まで友達もいなくて休み時間に外で遊びに行くことも全くなく、教室で本を読んでいるような子どもでした。

親には「今の現状が嫌だ」という言葉が言えず、代わりに違うところで困らせて発散していました。中学2年生くらいから鬱になり、中学校1年生のときに1回自殺未遂を経験しました。その頃くらいから蕁麻疹、過呼吸症候群にも陥り、1日に10錠ぐらい薬を飲むようになってしまいました。

あるときそれが全部家庭問題に関わっているということにやっと気がつき、自分の生き方や性格は周りの環境に影響されているなと中学2年生のときに気がつきました。とりあえず親に立ち向かおうと思って、中学1年生の1月1日にずっと伝えられなかった言葉を話すことができました。

その当時、母親は現在の父親となる人と住んでいて私とは別居していたのですが、ちゃんと和解することができ、3人で暮らすようになりました。一気に貧乏生活からお金持ちの生活になって、母親も一生懸命働いていたのが働かなくてもいい状態になり、穏やかになりました。今は両親ともすごく尊敬している存在です。

母が再婚しなかったら、大学にも行けなかった。バングラデシュにも研修に行くことはなかったでしょう。自分が辛い経験をしていなかったら、テレビ番組でアラジ君を知っても、シエラレオネに行こうとは思わなかったと思います。

現在は、父と3人の姉と黒マメシバが増え、下里家の養子として大家族の末娘になりました。

「シエラレオネ共和国でオムライス屋さんになりたい」

今一番に取り組んでいるのは、「シエラレオネ共和国でオムライス屋さんになりたい」という新プロジェクトです。

最初は現地で「夢プレゼン交流会」をしていたので、一人一人の夢に寄り添ったビジネスプロデュースがやりたかったのですが、シエラレオネ共和国の人たちは具体的な夢がなかったり、将来設計をできる人がいなかったり、そもそも叶いそうもない夢をお金があればできると言い通す人が多くいるなと感じました。

私が最初に「アラジ君」を見たときに自分の心が貧しくて、アフリカの人たちはすごく心が豊かなんじゃないかと思ったけれど、実際に行ってみたらアジア人差別も根強く残っているし、「お金をくれ、日本人は働かなくてもお金が手に入るんだろ」「俺たちにはチャンスがないから」「この国は地獄だ」ってはじめから諦めモードかつドヤ顔で支援を募る人たちがものすごく多い。そしてシエラレオネ共和国はそもそも産物も世界遺産もなく、その土地ならではのものがそれといってない土地でもありました。

「一人でも多くのシエラレオネ人が働ける環境を増やす」。その一つの取り組みが、レストラン事業です。Alazi Dream Projectの活動を開始した当初、フレンチレストランで働いていていたのですが、そのときにお世話になったシェフ直伝のオムライスが提供できるレストランを、シエラレオネで事業として開始したいと思っています。一人一人の夢を応援するより先に、「夢はこういう風に実現するんだ」という一つの試みをシエラレオネの人々に証明したいと思っています。まずは、もう一度シエラレオネ共和国に渡航し、養鶏ビジネスからスタートさせたいと思っています。

活動を通して目指すべき社会〜誰もが誰かのDreamサポーターに〜

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誰にでも小さな夢や大きな夢はあると思います。どんな夢でも、誰かと支え合うことのできる、応援しあうことのできる社会を目指していきたいです。

でも、日本という環境の中で夢や希望を持てず、死を選んでしまう若者も少なくありません。世界で一番若者の自殺率が高い日本。「日本人は自分で自分自身を殺す」ということを言って、「そんなの嘘だよバカみたい」ってシエラレオネ人は笑っていました。

苦しくて自殺を考えていた頃、何もない中でなんとか生き延びようとするシエラレオネのアラジ君は、私にとって夢であり生きる希望になりました。日本人の若者の中で、実現したい夢を持っている人は約40%だと言います。どんな小さい夢や大きな夢でも誰かと応援しあえたら、たとえ生きる意味に迷ったとしても、少しの希望になり得ると思うんです。

だから夢を持つことって本当に大切。そして誰かの夢を応援すること。応援しあうこと。どんな夢でもいい、将来にほんのちょっとでも希望をもてば、これからの人生、頑張って生きてみようと思いませんか?「日本人の自殺を食い止める」とか大それたことはきっとできないけど、夢を持つ人がもっと輝ける場所を、これからもアラジを通して提供していきたいです。

シエラレオネをどうにかするのは私

活動を続けていく上で、不安はもちろんあるし、よく失敗もします。寝る前に一人になったら思い詰めたり、乗り越えられないんじゃなかって思う夜もあります。その壁よりもシエラレオネ共和国をどうにかするのは私しかいないっていう信念が強いのは確かで、私はそのために生まれてきたと思っています。失敗しても挑戦し続けられる打たれ強さがあったらいつか成功に辿り着く、ということを多くの人に伝えたいです。

人生一回きりだから、とことん自分の好きなことをしてもいいじゃん。すごく小さい夢でもいいから、それに向かって頑張り続ければ、いつか違った形でも絶対叶うと信じています。

これからも日本でのイベント事業を通していろんな人が触れ合える機会や、誰もが誰かの夢を応援しあえる社会を作っていきたいと思っています。

西アフリカ女一人旅

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