NO.4 「Iターンして福島で復興応援隊に」 中岡ありささん

NO.4 Iターンして福島で復興応援隊に 中岡ありささん プロフィール 1992年生まれ。桜美林大学で国際協力を専攻。東日本大震災後、原発事故について詳しく調べ衝撃を受ける。大学3年次に福島の現状を発信する学生団体を立ち上げ、福島原発をめぐる諸問題の啓発活動に力を注ぐ。また、同い年の友人たちが黒いスーツを着て就職活動をしている中、東京から福島に通い、震災を経験した方たちに取材を重ねる。福島県への移住を一大決心し、現在は福島県田村市の委託事業である田村市復興応援隊として震災復興・まちづくり活動に取り組んでいる。 こんにちは、中岡ありさです。私は現在、福島県田村市というところで、震災復興・町づくりの活動をしています。大学時代には東京から福島に通い、震災を経験した方たちに取材をしたり、団体を立ち上げ活動していました。それから一大決心し、東京から福島に移住。現在は田村市や都路町に住む方々がずっとこの町に住んでいたいと思えるように、魅力の発信や町づくりのお手伝いをしています。 私の活動する田村市都路町は、福島第一原発から一部が20km圏内に入っていて、全体が30... Read More | Share it now!

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NO.2 「インド発ヨガインストラクター」 宇佐美若奈さん

NO.2 インド発ヨガインストラクター 宇佐美若奈さん プロフィール    1992年生まれ。インド発ヨガインストラクター。「インドに呼ばれている気がする…」と悟ってインドに行きヨガインストラクターの資格を修得。【違いを受け入れ楽しめる人を増やす】【何才になっても“今”を生きる若々しい大人を増やす】を人生の使命として生きている。そのツールとして現在はヨガとピラティスの専門スタジオにて、インストラクターとして活躍中。ヨガとピラティスの醍醐味である心と身体を整えていくメソッドを実践し、人に伝えている。世界10ヶ国を旅し、象使いの資格を持っている。※プロフィールの写真はインドに呼ばれた2014年冬の私。インド人に囲まれ日々様子がおかしい事だらけ! インド発ヨガインストラクター。「インドに呼ばれている気がする」と悟りまして、インドに実際に赴き、現地の仙人みたいな先生のもとで教えてもらい、ヨガインストラクターの資格を取得しました。現在は、ヨガとピラティス(※身体と心を同時にコントロールすることで、効率的に肉体と精神を強化することのできるメソッド)の専門スタジオで正社員のインストライターとして日々修行をしています。 ヨガとピラティスの醍醐味である心の健康、体の健康、社会的な健康を整えていくメソットを、まずは自分で実践し、人に伝えるお仕事をしています。世界10カ国、主に一人旅をしていました。象使いの資格を持っています! もともと冷え性もちだったことから、ヨガに興味をもちました。日本のホットヨガスタジオで2年程会員として通っていて、同時進行で海外にいっているうちに、なぜかインドに行く夢ばかり見るようになりました。夢の中では毎日のようにインドの風景、インドの町を歩いている私。もうこれは行かなきゃ行けないと思って、インドに行くと決めました。そしてどうせインドに行くなら、今やっているヨガをやりたい。「どうせやるなら、人に教えられるようになりたい!」と、枠を広げたゴールを決めたうえで、現地で本場のヨガを学んできました。 人に教えられるようになることで、自分だけの価値ではなくて、人に伝えるプラスの価値にしたかったんです。大好きなピカチュウのぬいぐるみを肩にのせて、インドに旅立ちました。それまではいろんな国で体験したことを発信していたのですが、インドに行ってからヨガというテーマに絞って活動するようになりました。 インドから戻ってからすぐに、イベントを開催しました。参加者のみなさんと一緒にインド人の格好をして、インド式のカレーを作り、右手だけで食べる、題して”冬のインド人祭り”というだいぶ個性的なイベント名で(笑)インドでの摩訶不思議な体験をプレゼン発表でシェアし、食や現地で教わったヨガを通してインドの世界をみんなに体感してもらって、”帰るころにはインド人”というテーマ通り、皆さんおでこの間に印がついたまま、帰宅。笑 おかげさまでもう一度やってほしいとの声がかかっています。 それから、夢支援NGOアラジ主催のイベントで講師として代々木公園でフリーヨガを企画していただき、より具体的に活動していくようになりました。予定としては、どこの国にいっても人々に心身の健康を手に入れてもらい、いつまでも若々しく社会に貢献していける人を増やす存在になりたいです!誰にとっても、今この瞬間が残りの人生の中で一番若い。その人生をどう生きていくかを身体と精神、そして社会的な健康というテーマから一緒に考えていきたいです。 インドに行き本格的にヨガを学んだことで、健康がなにより大事だと感じました。一口に健康といっても、ただ病気でない状態を指すのではなく、“身体の健康、心の健康、そして社会的な健康があってこそ本当の健康”だと思います。姿勢が正しい位置にあり、不快感や痛みが無い状態にあるとき、同時に気分が良くなります。想像してほしいのですが、ずっと肩こりで頭痛がひどい状態が続いていたら人に優しくしようとか、新しいことに挑戦してみようとかあまり考えられそうにないですよね。だからまず何よりも、自分自身の身体を整えていきます。 次第に心もいつも以上に余裕ができてより優しい気持ちになって、それが自分以外の誰かになにかしてあげようという気持ちになって、最終的に世界平和、社会的な健康になっていく…そんな社会を作っていきたいです。それを叶えていくツールの第一歩が私にとってはヨガでした。 ひとりひとりが、自分の心と身体をみつめはじめることが本当に平和につながる第一歩だと思っています。 得に世界10か国を旅して、日本人が心を閉ざしてしまいがちなことだったり、異質なものを攻撃して安心しきっている場面を見てすごく違和感を覚えました、”出る杭は打たれる”という昔からのことわざがあるように、日本にいると、ちょっと出た人が叩かれる…。その点では、私なんかはわりと叩かれやすい立場にいると思います(笑) そういった人との違いを叩くのではなく受け入れて楽しんでいきたい、さらに自分もどう生きたいのかを考え実行していける人が増えたら「大人になるほど人生が楽しい!」という人が増えると思います。 それをみた子供たちが大人になることが楽しみになってほしい。そのためにはまず自分を知らなくちゃいけない。そのために自分の体をみつめてほしい。そして心と体の健康を自分の責任として捉えて自分でコントロールしていける人を増やしたいです。 目的が達成されれば、手段はヨガやピラティスじゃなくてもよかったのかもしれません。私はたまたまインドでヨガに出会い、実践しながら皆さんに価値を提供できるように学びを深めています。皆さんにとって今、夢中になっていることは何ですか?それが一見ヘンテコでも様子がおかしくても、追及し続けて発信してみることが大切かなと考えています。 「とにかくやったれ!」 いろいろと心配し、悩む前にその場でやりたいことを全部やったらいいと思います。 去年の今頃(大学4年生の頃)私も、自分が本当の意味で何がしたいのか分からなくなった時期がありました。結果、やりたいことがありすぎたのでかたっぱしから実行してみました。行きたいと思った国に出かけ、海外でいろいろな様子がおかしいものを体験しました。(詳しくはインド発ヨガインストラクター... Read More | Share it now!

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NO.3 「ピア・カウンセラーを目指して」 木村翔子さん

NO.3 ピア・カウンセラーを目指して 木村翔子さん プロフィール 1992年生まれ。幼少期から児童養護施設で育ち、先天性の障害の手術をくり返す。12歳の時に手術の影響で脊髄損傷と診断され下半身不随になり、以後車いすで生活をする。その為、障害児の児童養護施設にうつり中学からは特別支援学校に通う。思春期に入り、障害の受容や家庭の事情等も重なり、一時適応障害になり不登校になる。施設や学校で様々な家庭環境、障害事情等を知り、「親からの虐待、障害や家庭環境などの偏見を無くしたい、また当人達の生きづらさを解消したい」と思うようになり、「一般的ではない自分だからこそ誰かの力になれるのでは」と考え、現在地域で一人暮らしをしながらピア・カウンセラーを目指し中。アニメと声優、ライブ、飲み会が大好き。 みなさんこんにちは、木村翔子です。私は12歳の時に生まれつきもっていた障害の手術の影響で、車いす生活になりました。そのことがきっかけで障害をもつ人への偏見を無くしたい、また、当人たちの生きづらさを解消したいと強く思うようになりました。現在は、「マイノリティの自分だからこそ、誰かの力になれるのでは」と考え、地域で一人暮らしをしながらピア・カウンセラーを目指しています! 幼少期の木村翔子さん 幼いころから養護施設で過ごしていたのですが、歩けなくなってからはずっと医療養護施設で入院していました。施設の保育士さんや、医者、ナース、PT(理学療法士)、OT(作業療法士),ST(言語聴覚士)、心理士さんたちが自分の親ではないのに、本当の両親みたいに親身になってくれました。 病院を出て違う施設に移った時のことです。その頃私はSPYAIRというバンドが大好きで、そのバンドがファンと交流できるイベントを開催していました。なんとなくのぞいてみると、バンドのメンバーがとても手厚く接してくれました。 私はそれまでずっと、障害を持っている人は、“健常者から嫌われる”と思っていました。全然そんなことはなくて、交流会に行ってみると友達がたくさんできました。「車椅子だから」とか、「障害者だから」とか言っても「別に良くない?」って言ってくれて。そこからどんどん社交的になっていきました。 歩けなくなったのは小学6年生、11歳の時でした。 歩けなくなった自分には、一体何ができるんだろう?と唐突に考えるようになりました。最初は手を動かすことができるのでマッサージがいいかも?と思って、マッサージ師を目指しましたが、どこかしっくりきませんでした。 それから現在の社会は、ストレスで溢れているように感じ、“誰かの心のケアをするカウンセラーになりたい”、誰かの話しを聞いてカウンセリングすることだったら、私にもできるのではないか…と思いました。 高校生だった私は、お医者さんに話を聞いてもらうことでとても救われたのですが、でもこの医者は「健常者だ」という思いが頭から離れませんでした。ナースや親みたいに接してくれている人でも、「親じゃない」「健常者だ」「私とは違う」という風に感じてしまっていました。 一人暮らしをはじめるにあたり、学校、病院、元施設…いろいろなところに、一人暮らしの不安を相談しました。すると、実際に障害を持っている人が運営し、障害者自信の心理的サポート、また保険や公的補助、法律面でのサポートをしているNPO法人CIL小平を紹介していただき、そこでよく相談に乗ってもらうようになりました。(※CIL(the... Read More | Share it now!

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